Wednesday, December 14, 2016

何故にジャパン?



 なぜに日本をJapanと呼ぶのだろうという疑問は、以前から持っていたように思う。NIHONあるいはNIPPONとすべきところを、どうしてJapanとしたのだろうか。あまり似た音ではない。
このことを解き明かせてくれたのは、例によって『お言葉ですが・・・』だった。
まずは白板に“日本”と書いた。
「ニホン」「ニッポン」
という声が起った。
「きょうは、ちょっと大きな話をしましょう。みなさんは今、ニホン、そしてニッポンとお読みになりました。さて、どっちが正しいのでしょうか」
「ニホン」「ニッポン」
またもや、二つに分かれた。
「そして、英語では何故にJapanと呼ぶのでしょうか」
と続けると、みなさんは一様に戸惑いの表情を浮かべた。思いもしなかったという様子だ。
「まず、ニホンかニッポンかを考えてみましょう」
と切り出すと、みなさんの顔は神妙さを増した。
結論から言うと、これはどちらでもOKだそうだ。『お言葉ですが・・・』の第五巻によると、この問題は古くから存在したという。引用しよう。
“たしか佐藤栄作さんが総理大臣の時に、閣議で「ニッポンとする」と決めた”“その前、東京オリンピックの時にも、「ニホンとニッポンと両方あっては外国の選手が混乱する」という心配性の人がだいぶあった”とある。
「そして日本国憲法ができた時には、国会である議員が“これはニホン国憲法かそれともニッポン国憲法か”と質問したそうです」
みなさん、息をひそめて聞いていらっしゃる。
ちなみに、社会党はニッポン社会党でした。共産党はニホン共産党だそうです」
“お江戸日本橋七つ立ち”に対して、大阪にあるのは日本(にっぽん)橋だということもお知らせした。

「ではそろそろJapanです。これを解く鍵は、‘日’の読み方にあります」
と言って、白板に書かれてある「日」を指した。
すると、「ひ」「ニチ」という声が上がった。
「では、ニチから行ってみましょう。毎日、一日、日常などがあります。日蓮上人もニチですね」
みなさんは真剣な眼差しでうなずいている。
「日程、日給、日記というのもあります。日系人というときの日系も同じです。日本(にっぽん)というのはこの流れのようです」
するとみなさん、成る程という表情を露にした。
「では、日本を逆さにすると」
と言って、白板に“本日”と書いた。
久しぶりの広瀬さんが率先した。
「ホンジツ」
「そうですね。本日休診という時の本日です」
と言ったあと、“日”を指してつづけた。
「前回、呉音と漢音ということをお伝えしました。呉音は‘ニチ’です。では、漢音は」
「ジツ」
「ありがとうございます。完璧です。では」
  日本
「漢音では」
すぐには返事がなかった。すこしの静粛のあと、西さんが代表した。
「ジッポン。あっ、そうだったんですね。それでJapanですか。面白いですね」

この本から引用しょう。
“関が原の戦いのころにポルトガルの宣教師がつくった『日葡辞書』というものがある。当時の日本語をポルトガル語で説明した辞書である。(中略)
これを見ると、「日本」は「ジッポン」「ニフォン」「ニッポン」と三か所に出ている。(中略)
江戸時代のはじめごろまでは、ジッポンはまだ生きていたことがわかる。ニッポン、ニフォンとあわせて三本立てであった。
そりゃそうだろうね。マルコ・ポーロの「ジパング」も英語のジャパンも、あきらかにジッポン系だもの。”
もう一つ、付け加えて終わりにしよう。
ソーシャル・アワーのために「日」の付く言葉を追った。漢語辞典を開くと、先に上げたもの以外にも西日、日陰、日和、厄日などを含む180ほどが記されていた。
だがその中に、日本の「に」にあたる読みを持つ言葉は見つからなかった。「に」は、日本という時だけに使われるようだ。



















































Wednesday, November 30, 2016

呉音と漢音




 この辺で呉音、漢音、唐音の説明を加えよう。日本語には、二つ以上の音読みを持つ漢字が少なくない。下(ゲ・カ)、山(セン・サン)、後(ゴ・コウ)、成(ジョウ・セイ)などである。
日本に文字が初めてもたらされた西暦555年頃、百済は中国の呉と仲が良かった。「呉越同舟」という時の呉である。百済を経由して日本へ伝わった漢字の発音は、すなわち呉音であった。
一つ付け加えておこう。百済人を介してもたらされたため、日本に届いた呉音には百済訛りが含まれていたであろうとも言われる。
時代は奈良・平安時代へと移って行く。奈良・平安時代に中国へと送ったのが遣隋使と遣唐使であった。遣唐使の頃の中国は、唐が全国を統一し都を長安に置いた。多くの留学生が、長安で唐の思想、文明を学んだ。ところが、その地で用いられる中国語は日本で使われる呉音ではなく漢音であったのだ。
長安で学んだ留学生達は、漢音を通して唐の思想、文明を身につけた。日本へ戻った彼らは、言うまでもなく、漢音を持って中華の学問を論じた。このようにして日本では、一つの漢字に呉音と漢音を有するという現象が生まれたのである。そしてこれはあまり多くないが、唐以降の元、明などの時代に入ってきた音読みは唐音として区別される。

概して南方系の呉音はやわらかく、北方系の漢音は響きがゴツゴツしているのだそうだ。例えば男である。男の音読みには、男子という時の「ダン」と美男という時の「ナン」がある。ダンが漢音でナンが呉音である。女性という時の「ジョ」がゴツゴツで、女人という時の「ニョ」はやわらかい。すなわち、ニョが呉音で、ジョが漢音ということになる。美男はやわらかく、美女はゴツゴツですね。
冗談はさておき、「老若男女」を読んでみてください。ロウ・ニャク・ナン・ニョ、ちゃんと呉音で読まれましたね。人相、人形、人情のニンが呉音で、人物、人格、人生のジンが漢音であることはご理解いただけただろう。これが日本語の音読みの秘密である。
 
 このことをもう少し続けよう。これを書きながらふと思ったのだが、外国人が日本語を習うとき、これほど支離滅裂な言語もないだろう。たとえば「重」である。体重・比重というときは呉音のジュウで、貴重・慎重というときは漢音のチョウ。気重と身重になると、和語の‘おも’と読まなければならない。重宝は、貴重な宝物や有益で有効な物品の場合は‘ジュウホウ’と読み、便利であることの場合は‘チョウホウ’である。重用・重複の場合はジュウでもチョウでもいいらしい。まるで、からくり人形のように変化(へんげ)する。
「行」は呉音のギョウ、漢音のコウ、唐音のアンと、音読みだけでも三通りにもなる。行脚(アンギャ)、行火(アンカ)、行灯(アンドン)は唐音読み。行者は仏道を修業する人の場合は呉音のギョージャ、禅宗で寺院に属して諸役に給仕するものを表わす場合は、唐音のアンジャと読まなければならない。外国人でなくとも難解だ。

 ではこの辺で、漢字の仕組みを少し整理しておこう。漢字はコンピューターのデータベースに通じる効能を有するというのが、私の考えである。データベースの情報が友人リスト、趣味の集い、顧客名簿といった項目に仕分けられるように、何万字もあるといわれる漢字という文字も、一字一字が色々な項目によって仕分けられる。まず、部首によって大まかな意味会いを示してくれる。
 本、杏、査、札、柿、根、柊、棋、椿、棺、樹とあると、木と関連している文字だとすぐにわかる。泉、汁、汗、池、泣、注、油、泌、涙、液は、なにか水に関係するものであると知らせてくれる。冬、冷、凍、凄、凛とくれば、 水よりも冷たいものだと見極めることなど簡単だ。
 月の付く朔、朗、期、朝は、月と関係あるのは言うまでもない。一方、肉月(にくづき)を含む漢字は人体と関係がある。育、肩、胃、背、膏、肌、肝、股、肺、肥、胎、腕、腰、臓などと非常に多い。
そして、負、貢、貨、貸、責、貧、買、賃、資、費、賽、贋、財、販、貯、購、贈とくれば金銭に関わる文字である。古代、たから貝という貝の殻は宝として尊重され、交易のための貨幣として使われた。貨財やその授受などの経済活動一般に関する字は、貝部によって仕分けられる。このようにして漢字は、部首によってコンピューターのデータベースの役目を果たしてくれる。

次に音符で仕分けして、音を教えてくれる。
  旨、脂、指は、シの音。
  袁、遠、園、猿は、エンの音。
  青、清、晴、静、請は、セイの音。
  化、花、囮、訛、貨、靴は、カの音。
  江、功、巧、攻、紅、虹、貢、項は、コウの音。

 そして日本語には、訓読みという強い助っ人がいる。訓読みとは“漢字をその字の意味にあたる日本語で読むこと”だった。当然、その文字の意味を表している。
  (うま)い、(あぶら)(ゆび)
  (とお)い、(その)(さる)
  (あお)(きよ)い、(はれ)(しず)か、()う。
  ()ける、(はな)(おとり)(なまり)、貨(無理して訓むとタカラ)、(くつ)
  ()(いさお)(たく)み、()める、(べに)(にじ)(みつ)ぐ、(うなじ)