Wednesday, November 30, 2016

呉音と漢音




 この辺で呉音、漢音、唐音の説明を加えよう。日本語には、二つ以上の音読みを持つ漢字が少なくない。下(ゲ・カ)、山(セン・サン)、後(ゴ・コウ)、成(ジョウ・セイ)などである。
日本に文字が初めてもたらされた西暦555年頃、百済は中国の呉と仲が良かった。「呉越同舟」という時の呉である。百済を経由して日本へ伝わった漢字の発音は、すなわち呉音であった。
一つ付け加えておこう。百済人を介してもたらされたため、日本に届いた呉音には百済訛りが含まれていたであろうとも言われる。
時代は奈良・平安時代へと移って行く。奈良・平安時代に中国へと送ったのが遣隋使と遣唐使であった。遣唐使の頃の中国は、唐が全国を統一し都を長安に置いた。多くの留学生が、長安で唐の思想、文明を学んだ。ところが、その地で用いられる中国語は日本で使われる呉音ではなく漢音であったのだ。
長安で学んだ留学生達は、漢音を通して唐の思想、文明を身につけた。日本へ戻った彼らは、言うまでもなく、漢音を持って中華の学問を論じた。このようにして日本では、一つの漢字に呉音と漢音を有するという現象が生まれたのである。そしてこれはあまり多くないが、唐以降の元、明などの時代に入ってきた音読みは唐音として区別される。

概して南方系の呉音はやわらかく、北方系の漢音は響きがゴツゴツしているのだそうだ。例えば男である。男の音読みには、男子という時の「ダン」と美男という時の「ナン」がある。ダンが漢音でナンが呉音である。女性という時の「ジョ」がゴツゴツで、女人という時の「ニョ」はやわらかい。すなわち、ニョが呉音で、ジョが漢音ということになる。美男はやわらかく、美女はゴツゴツですね。
冗談はさておき、「老若男女」を読んでみてください。ロウ・ニャク・ナン・ニョ、ちゃんと呉音で読まれましたね。人相、人形、人情のニンが呉音で、人物、人格、人生のジンが漢音であることはご理解いただけただろう。これが日本語の音読みの秘密である。
 
 このことをもう少し続けよう。これを書きながらふと思ったのだが、外国人が日本語を習うとき、これほど支離滅裂な言語もないだろう。たとえば「重」である。体重・比重というときは呉音のジュウで、貴重・慎重というときは漢音のチョウ。気重と身重になると、和語の‘おも’と読まなければならない。重宝は、貴重な宝物や有益で有効な物品の場合は‘ジュウホウ’と読み、便利であることの場合は‘チョウホウ’である。重用・重複の場合はジュウでもチョウでもいいらしい。まるで、からくり人形のように変化(へんげ)する。
「行」は呉音のギョウ、漢音のコウ、唐音のアンと、音読みだけでも三通りにもなる。行脚(アンギャ)、行火(アンカ)、行灯(アンドン)は唐音読み。行者は仏道を修業する人の場合は呉音のギョージャ、禅宗で寺院に属して諸役に給仕するものを表わす場合は、唐音のアンジャと読まなければならない。外国人でなくとも難解だ。

 ではこの辺で、漢字の仕組みを少し整理しておこう。漢字はコンピューターのデータベースに通じる効能を有するというのが、私の考えである。データベースの情報が友人リスト、趣味の集い、顧客名簿といった項目に仕分けられるように、何万字もあるといわれる漢字という文字も、一字一字が色々な項目によって仕分けられる。まず、部首によって大まかな意味会いを示してくれる。
 本、杏、査、札、柿、根、柊、棋、椿、棺、樹とあると、木と関連している文字だとすぐにわかる。泉、汁、汗、池、泣、注、油、泌、涙、液は、なにか水に関係するものであると知らせてくれる。冬、冷、凍、凄、凛とくれば、 水よりも冷たいものだと見極めることなど簡単だ。
 月の付く朔、朗、期、朝は、月と関係あるのは言うまでもない。一方、肉月(にくづき)を含む漢字は人体と関係がある。育、肩、胃、背、膏、肌、肝、股、肺、肥、胎、腕、腰、臓などと非常に多い。
そして、負、貢、貨、貸、責、貧、買、賃、資、費、賽、贋、財、販、貯、購、贈とくれば金銭に関わる文字である。古代、たから貝という貝の殻は宝として尊重され、交易のための貨幣として使われた。貨財やその授受などの経済活動一般に関する字は、貝部によって仕分けられる。このようにして漢字は、部首によってコンピューターのデータベースの役目を果たしてくれる。

次に音符で仕分けして、音を教えてくれる。
  旨、脂、指は、シの音。
  袁、遠、園、猿は、エンの音。
  青、清、晴、静、請は、セイの音。
  化、花、囮、訛、貨、靴は、カの音。
  江、功、巧、攻、紅、虹、貢、項は、コウの音。

 そして日本語には、訓読みという強い助っ人がいる。訓読みとは“漢字をその字の意味にあたる日本語で読むこと”だった。当然、その文字の意味を表している。
  (うま)い、(あぶら)(ゆび)
  (とお)い、(その)(さる)
  (あお)(きよ)い、(はれ)(しず)か、()う。
  ()ける、(はな)(おとり)(なまり)、貨(無理して訓むとタカラ)、(くつ)
  ()(いさお)(たく)み、()める、(べに)(にじ)(みつ)ぐ、(うなじ)

Monday, November 14, 2016

漢字の渡来。



日本に漢字がもたらされた時期に関しては多くの異なる説があるようだが、本ブログは歴史書を綴っているのではないので、普通の日本の教科書に載るものを採用することにする。西暦555年がそれである。みなさんも良くご存じのように、百済から金銅の釈迦像一体と仏具、そして釈迦の教えを記した経論(きょうろん)がもたされた。
経論に記された漢字と出会った当時の日本人は、大いに慌てふためいたであろう。それまでの日本国には文字というものがなかったのである。日本人が初めて見た文字は漢字だったのだ。みなが身震いしたであろう。
 このように書くと、どこからか「じゃ、当時の日本には言葉がなかったのか」という声が聞こえてきそうだ。いや、当時の日本にも言葉はあった。ただそれは、やま、かわ、うみ、しま、たべる、あるく、ねるといった日々の生活で用いる話し言葉に過ぎなかった。それを書き表す文字は、まだなかったのだ。 
ここで少し、漢字の定義を試みてみよう。漢字は、今から三千年以上も前に出来上がった文字である。黄河の下流流域において興った世界四大文明の一つ、中華文明を作り上げた漢族の言葉が漢語であった。そして、その漢語を書き表すのが漢字であったのだ。
つまり、漢字が日本へ入ってきたときにはすでに二千年近い歴史を経て、高度に発達、整備された文字であった。言い換えると、二千年近く前に興った中華文明が、漢字という文字におさまって洪水のように押し寄せてきたわけだ。
日本国は話し言葉だけの言語生活を送っていた。田畑を耕し、魚介を採り、猟をして日々の糧とした世では、それも不自由ではなかったろう。そのような日本国へ、敬、信、孝、幸、戒、福、尊、蔑、教、義、宗、司、祀といった抽象的概念を表す文字が渡来したのである。
物として現れない、そして感覚ではとらえられない無形の物、精神的な物、宗教的な概念を表す文字との出会いに大そうまごついたであろう。時間と空間を超越した抽象的で哲学的な文字の出現に恐れおののいただろう。あるいは心躍らせたかも知れない。 
 
 文字を持たない国に、
  修己以安百其為不虚取直也的也
  鮑叔終善過之、不以為言
  緩歌慢舞凝糸竹     
  (これらは漢文の本から無作為に抜粋したもので、大意はない。)
 といった、それまで見たこともない得体の知れないものが入ってきたわけだ。今だから我々は形も意味もある程度理解できるが、当時の日本人にとっては次のような感じたに違いない。
タイ人の友達がいたとして、タイ語で書かれてある仏教書を、“これは素晴らしい仏教書だから研究してください”と手渡されたようなものだったろう。おたまじゃくしのような文字をにらんで手の打ちようがないようなものだったろう。
1300年後に起こる、西洋文明が横文字の形をして怒涛のようになだれ込んできたのと極似している。幕末・明治の日本人が、西洋の思想・学問・制度のすべてを日本のそれよりも優れたものと考え、それをまるごと受け入れることによって優れた国家を作ることができると考えたように。
いにしえの日本人も、漢字の形をして怒涛のようになだれ込んできた中華文明をまるごと学ぼうとしただろう。遣隋使がその始まりであった。そして遣唐使へと引く継がれて行った。

ここで、少々横道に入ろう。訓読みの生まれたいきさつということを説明したいからである。当時の日本人は、初めて見る文字を漢字の持つそのままの音で発音しょうとした。水はスイであり、飲はインだ。これが音読みである。
では、「音読み」を国語辞典で引いてみよう。“漢字を字音で読むこと”とある。ここで、字音という馴染みの薄い言葉の登場だ。もう一度、国語辞典の助けを借りよう。字音は、“日本に伝来して国語化した漢字の発音。「夏」を「カ」、「冬」を「トウ」とする読み方。伝来の系統によって、呉音、漢音、唐音などに分類される”と説明が成されてある。早い話が中国読みということだ。なお、呉音、漢音、唐音という耳慣れない名称が登場した。これらに関する説明は、訓読みの後にしょう。
上に、中華文明を作り上げた漢族の言葉を文字にしたのが漢字だと書いた。つまり、漢字の発音というのは本家本元の発音しかないわけだ。ところがである。日本人は大昔から好奇心が強かったのか、おっちょこちょいだったのか、好き勝手だったのか。本家本元の読みを日本式に変えるという突拍子もないことを思いつくのである。
(CHIEN)、来(RAI)、打(TA)、帰(QUEI)、暖(NWAN)、涼(RIANG)、嬉(SHI)などの漢字はケン、ライ、ダ、キ、ダン、リョウ、キと字音で受け入れた。同時に、きらう、くる、うつ、かえる、あたたかい、すずしい、うれしいという本来の日本語を、それを意味する漢字に充てて取り入れることも思いついたのである。嫌う、来る、打つ、帰る、暖かい、涼しい、嬉しいという風に。
訓読みを続けよう。日本語の中での漢字の内、訓読みを一番多く持つ漢字というと、たぶん「生」であろう。生ビール・生菓子という時の「なま」、生一本の「生」、生け花の「生ける」、毛が生える、生い茂る、生さぬ仲といくらでもある。だが、こんなものではない。生憎、埴生、弥生、相生、晩生(おくて)早生(わせ)なども訓読みである。
 日本語というのは大そう厄介だ。「生」は、これだけの音の違う訓読みを持つ上に、三つもの音読みがあるのだから。生活・生産・生存のセイ、一生・生涯・生じるのショウ。誕生・往生・養生のジョウである。