Tuesday, August 1, 2017

すごいそ!ニッポン語。



すでに書き記したことだが、日本では、ペリーが来航した嘉永六年(1853)を期して幕末と称するそうだ。幕末へと時代が移るのと時を同じくして、日本では有史以来の大変動が待ち受けていた。ペリー来航以降、西洋文明の日本への流入が始まったのである。
西洋文明の視点からすると非常に異質な文化が成熟していた日本国に、経済学、歴史学、倫理学、論理学、心理学、哲学、生理学、天文学、医学といった西洋の学問が入ってきた。それまでの日本には無かったものであった。
憲法、民法、刑法、商法、税法、会社法、国際法といった西洋の法律が土足履きのままで入ってきた。これらも、それまでの日本に無かったものである。
そして、教育、政治、経済、社会、軍隊、交通における西洋の制度が大手を振って入ってきた。言うまでもない。これらも、それまでの日本には無かったものである。
幕末以降の日本人は、西洋語の形で怒涛のようになだれ込んできた西洋のあらゆるものを、社会、経済、選挙、反応、時間、意識、情報、必要、聡明、現実、世界、信用、印象、理論、素質、演奏、精神、衛生といったそれまでの日本国には存在しなかった新しい日本語を造語することによって、速やかに取り入れることを可能にした。
そして、漢字を駆使して造語が成されたため、歴代の漢字圏である中国、朝鮮半島においても新しい日本語が共有された。それまで西洋文明に手も足も出なかった中国と朝鮮半島では、和製漢語に翻訳された書物を通して、西洋文明の受け入れが可能になったということは繰り返し書き記した。
歴代の漢字圏の国々で共有される日本語をもう少し上げてみよう。
 安全、意見、意味、過去、現在、未来、可能、不可能、関係、簡単、感動、期待、基本、興味、禁止、緊張、結果、決心、決定、原因、研究、現代、言論、広告、公衆、幸福、孤独、錯覚、差別、参加、参考、賛成、反対、事実、出発、準備、使用、常識。
 これらの和製漢語が無かったなら、現在の我々の社会生活は成り立たない。そのことは中国も台湾も香港も、そして朝鮮半島も同じである。和製漢語が無かったなら、歴代の漢字圏の国々では西洋文明を受け入れることはできなかったろう。そして、西洋の植民地になったであろうことを予想するのは難しくない。
日本語はすごいのである。日本はすごいことをしたのである。そのことを多くの日本人に理解していただきたい。

「すごいぞ!ニッポン語」と題した拙文の始めに“日本列島と朝鮮半島の間に対馬が浮かんでいたことが、世界史の上で幸いした。日本列島とユーラシア大陸の間に朝鮮半島があったことが世界史の上で幸いした。この出来事により、後に、朝鮮半島を通って漢字が日本列島へともたらされたからである”と書き記した。
もしも対馬がなかったなら、そしてもしも朝鮮半島がなかったなら、日本列島へ漢字がもたされるのはポルトガルが種子島に漂着した1543年以降になったろう。漢字だけではない。日本の根幹となるアジア式米作文明も仏教も、もたされるのは1543年以降となり、外の世界との接点がないまま縄文の時代を続けたと考えるのが妥当である。

何十年も前の話になる。ハンガリーから移民してきたという人と会う機会があった。
「私は日本から来ました」と自己紹介すると、突然相手が、「おお、兄弟」と言って抱擁を試みた。そして、私がけげんそうな表情を浮かべているのを見てとったのだろう。彼は、「あなたのおしりに蒙古斑あるでしょう」と笑顔でささやいたのだった。
「ああ、あるよ」
「それみな。俺もおしりにあるんだよ。どうだい、兄弟だろ」
 中学校の地理の時間に、日本語はウラル・アルタイ語族に属するということを習った。何千、何万キロも離れたハンガリー、フィンランドという国々と似かよった文法を有し、同じ語族に属するということを習ったが、実感として心に残るものではなかった。ハンガリー人の蒙古斑を知るまでは。
モンゴル帝国がユーラシア大陸の大半を征服したことによって、蒙古斑が東欧諸国から極東に位置する日本列島までをも巻き込む広い範囲に及んだのかもしれない。あるいは、紀元前八世紀ごろ黒海北方の草原地帯において遊牧文明を興したスキタイ人が蒙古斑の祖先なのかもしれない。
遊牧文明の祖先であるスキタイ人が、遊牧に最適な地を求めて、途方もない年月をかけて万里と続く砂漠、峡谷、山岳を踏破し、モンゴル高原に辿り着いたことを思う。涸れた砂漠、砂ぼこりの吹き荒れる砂漠、熱砂の砂漠、底冷えの砂漠を一歩一歩、くる日もくる日も、はかり知れない年数をさまよったことを思う。
 気の遠くなるような長い年月を費やして辿り着いたモンゴル高原は、地球上で最も遊牧に適していると言われる。そのモンゴル高原を中心にして活躍した遊牧民族が匈奴と呼ばれ、北アジアに遊牧民族最初の国を建てたという。そして秦の始皇帝が、匈奴の勢力を阻止するために築いたのが万里の長城であった。
匈奴は東へも勢力を伸ばし、現代の中国東北地方において固有の社会を作り上げていた扶余族に影響を与え、遊牧民族の持つ特有のウラル・アルタイ語を伝えた。世界史は詳しくないので良くわからないが、このようなあらすじだったと記憶する。そして扶余族の一部が朝鮮半島南西部へと移り住み、百済を興す祖となった。
また、スキタイ人特有の金細工文化がユーラシア大陸の果てに位置する新羅に受け継がれ、質の高い金冠として花開いたという。まさに、人類の歴史の壮大を見る思いである。
 このようなことに思いを巡らすと、歴史上の漢民族と北方の騎馬民族との間に立ちはだかる万里の長城が線となって鮮明に浮かぶから不思議だ。スキタイの遊牧民族にしろモンゴルの騎馬民族にしろ、彼らの文化は万里の長城の外側を通って伝わった。膠着語(テニヲハ)という文法上の特徴をもつウラル・アルタイ語も、蒙古斑も同じルートを通って伝わった。
万里の長城の内側に位置する漢民族には金細工文化は興らなかった。膠着語が漢文のなかに入ることもなかった。中国人の知り合いに聞くと、中国人には蒙古斑はないと言う。たかが蒙古斑であるが、人類の歴史のスケールに圧倒される。

 開高健は司馬遼太郎との対談で、“文明というのはなんであれ、他の文化圏に容易に伝達できるか、容易でなくても少なくとも伝達が可能であるものを文明という”と定義している。
 有史以来、文明というものは一日も休むことなく動き続け、流れ続けているのである。偏西風が休みなく吹くように、海流が止まることなく流れるように。
同じく開高健は、文化の定義を“文化とはなにかというと、その文化圏に固有の血と土の産物であって、他の文化圏に伝えることが不可能であるか、もしくはきわめて困難であるもの”としている。
アメリカで生まれた固有の文化ジーパンが、世界の若者に愛され、世界的規模でのジーパン文明へと普遍化された。これまたアメリカ特有のfast foodにすぎなかったハンバーガーが、マクドナルド式の経営システムによって世界的な食文明へと昇華された。  
つまり文明というのは、誰でも参加できるものであり、参加すると非常に便利が良く役に立つという定義が可能である。誰でも参加でき、非常に便利で、かつ有益ということであれば、幕末以降に造語された和製漢語はまさに文明である。極東の漢字圏に限らねばならないが、和製漢語文明と名付けても差し支えないと考える。

 日本へもたらされた漢字文明は長い年月を経て、日本独自の訓読み文化へと熟成された。近代の夜明けを機に、訓読み文化は和製漢語文明へと成就され、もたらされた時とは比べ物にならないほどの大きなインパクトを携えて、漢字をもたらしてくれた国々へと戻っていった。
 東アジア諸国の中央集権的な視野では、異端児としか言いようのない日本という国があったればこそ、漢字圏の国々が西洋の言語的植民地と化することから免れることができたと思っている。そして、和製漢語文明なくしては漢字圏の国々の近代化はあり得なかったとも思っている。和製漢語の誕生は世界史に多大な貢献をした。
 日本は、西洋文明を自国語に翻訳するという世界のどの民族も成さなかったことをやり遂げ、東アジア諸国へと伝播した。司馬遼太郎も開高健も、「言語は文化の中でも最大のものですな」と口を揃えている。
 和製漢語の成立がなかったとしたら、東アジア諸国の文化の存続が可能であっただろうか、民族の存続は可能だっただろうか、国の存続は可能だっただろうかと考えている。  日本は世界史の上ですごいことをしたと、私は思う。しかし、当の日本人はすごいことをした事実すら知らない。                              
 司馬遼太郎は陳舜臣との対談で、次のように説いた。
“同じ文字を使っているということで、日本人がつくった言葉を中国は逆輸入する。憲法、文学、哲学という言葉がそうだし、またふるくからあった人民、共和という言葉も新しい概念を持って再生される。ほとんどの言葉がそうだと思うな。だから、朝鮮民主主義人民共和国という国名も、「朝鮮」を除いては全部明治の日本人がつくった翻訳語ですね。陳さんのおっしゃることですけれども、文明は共有されてはじめて文明といえるわけで、日本もこの点ですこし中国、朝鮮にお返しできたようでもある”(『対談 中国を考える』)
 すごいことをしてもすごいと思わない国、自分をひけらかすことを恥じる国、日本に生まれ育ったことを誉に思う。

Friday, July 14, 2017

「腺」は和製漢字



以前、「形を変えた英語」という表現を高島俊男の『漢字と日本人』から拝借した。そのことをもう少し説明しょう。ペリー来航以降に怒涛のように入って来た英語の語彙だが、日本国に存在しないものが少なくなかった。また、日本には存在しない概念を表す言葉もふんだんに含まれていた。
pithecanthropusはその一つであった。これを当時の洋学者は「猿人」という新しい言葉を造語して対処した。鈴木孝夫の『日本語と外国語』にあったように、英語の本場アメリカの学者、大学院生でさえも理解しえない単語だったのだ。ところが、和製漢語に姿を変えると国民の全てが理解可能な言葉に早変わりしたのだった。そのおかげで、歴代の漢字圏である中国、台湾、朝鮮半島においても、国民の全てが理解できるようになった。ということは既に書き記した。
英語は面倒な言語である。英語にsudoriferous grandという医学用語がある。日本語はこれを、「汗腺」という新しい言葉を造語して対処した。つまり、sudoriferousが汗というわけだ。これは面倒である。汗は、英語ではsweatだ。生まれた時から死ぬまで汗はsweatなのだ。
しかしこれが専門用語となると、sweatという使い慣れた言葉が用いられることはない。ラテン語かギリシャ語へと助けを乞うのである。sudoriferousは汗を意味するラテン語かギリシャ語なのである。アメリカ人でさえも、この単語 を見て聞いて汗を思い浮かべる人の数は多くないだろう。
ところが、汗腺とあると一目瞭然である。歴代の漢字圏でもそのことに変わりはない。ただ朝鮮半島では、漢字を棄てたために、一目瞭然という恩恵を失ったということは何度も指摘した。
日本語が漢字を放棄したと仮定しょう。「カンセン」と聞こえ、「カンセン」と見えても、それが汗腺であると見極める手立てなどない。観戦も感染も幹線も「カンセン」である。艦船、官選、艦戦も「カンセン」だ。「同音異義語」で書いたことだが、和製漢語は漢字の後ろ盾なしには成り立たないのだった。

grandである。これは日本語の「腺」なのだが、この漢字が日本製であることは良く知られたことであろう。これは絶妙な創作である。中国は数千年にもおよぶ漢方医学の国であり、近代にいたるまで人体解剖は国禁であった。それがため、腺の存在を知ることもなかった。つまり、それを意味する漢字も生まれなかったということだ。
英単語のgrandが入って来た時、日本の洋学者はその意味をしっかりとつかみ漢字で表そうとした。ところが、漢語の辞書を隅から隅までしらみつぶしに探してはみたが、見当たらない。それもそのはずで、歴代の中国にはgrandの存在など知るすべもなかったのだ。
適当に茶を濁すことを良しとしない日本人のことである。grandを意味する漢字がないことを知った日本人は、独自の漢字を造り出すことにした。それにしても完璧な創作である。体内に存在する線のように細い器官であるということが、すぐに思い浮かぶ。

 インドでは、大学の授業は自国語で行われない。これは、ヒンズー語という国語以外に10以上の公用語を使用するため、一つの言語では統一できないということもある。だが、自由、革命、思想、英知、知覚、認識、民主、相違、存在、幻覚、現象といった高度の概念を表す自国語がないため、あるいは学術用語を表す自国語がないため、英語を使って授業をするよりほかに方法がないということが第一の理由である。
 他の東南アジア諸国においても、事情は似たようなものであろう。高度の概念語、学術用語を自国の言語で表すことができない。すると、外国語である英語を借りて授業を行なうしか方法がないのである。
マレーシアで本屋に入ると、マレー語で書かれた本は何冊もなく、ほとんどは英語の本であるらしい。つまり高等教育を受けられない人々は、読書という教養の糧を得ることがないまま一生を終えることになってしまう。
もう一度、「英語は面倒だ」へと戻ってみよう。electrooculographyは眼球運動だそうだ。cytokinesisは細胞質分裂だという。40年以上をアメリカに住む人間だが、このような専門用語はまるで歯が立たない。たぶんこのことは、一般のアメリカ人も同じだろう。
dysphasiaは言語障害であるらしい。これも、一般のアメリカ人には無理な単語だろう。これらの単語は、ただ英和辞典を広げて拾っているだけのことである。strabismusというのもあった。これも、普通のアメリカ人には手も足も出ないだろう。日本語では斜視である。和製漢語は優れものだ。

英語を母国語とするアメリカ人にさえも難解な語群が、英語を母国語としない他のアジア諸国(漢字圏以外)の国々において大学の授業を英語でまかなったとしても、十分に消化されているとは思えない。
また、高等教育を受ける人たちと、それを受けることの出来ない人たちの格差は甚だしいものになるだろう。高等教育を受けられない人たちには、現代文明が分配されることはないということになる。 
 それに引き換え日本においては、幕末・明治の先人達が漢字という表意文字を駆使して、西洋の文明、西洋の学問、西洋の概念を漢字語に造語して取り入れたおかげで、小学校から大学までの教育を日本語によってまかなうことが可能になった。
 このことは、東アジア諸国(漢字圏)においても共通することであった。和製漢語を通して、西洋の文明、学問、概念をすみやかに取り入れることが可能となり、小学校から大学までの教育を、自国語を持ってまかなうという他のアジア諸国では不可能であったことを可能にした。
 アメリカにおいては専門家にしか理解されなっかた語群さえも、漢字語に意訳されたおかげで、国民だれもが理解できる簡便な言葉になった。そのことが、国民全体の教育水準の向上につながったと思う。毎年のように教育水準の世界的な統計が報道されるが、漢字語圏の国々が常に上位を占めているという現象は偶然ではないと思うのだ。 


Thursday, June 29, 2017

同音異義語



韓国語は漢字を放棄した。前回は、そのことによって一目瞭然という和製漢語の特徴を韓国語は失ったと書いた。原人、猿人、原因、遠因、援引というそれぞれ異なる意味を持つ語彙だったのが、漢字を捨てたため、全てが원인と聞こえ원인と目に映ることとなった。원인では、原人、猿人、原因、遠因、援引の違いを認識するのは無理である。最も馴染みの深い「原因」だけが残り、他の四つの語彙は闇に消えたと書き記した。そして、これは勿体ない話だと綴った。
このことをもう少し続けよう。同音異義の言葉が生まれたのは韓国だけの話ではない。日本語にも同音異義語が満載である。少し例を上げよう。
「シコウ」という音を持つ漢字語には、志向、至高、志考、指向、私交、私考、私行、伺候、施行、施工、思考、歯垢、嗜好、試行、試航、詩稿がある。なんと16もの異義の言葉が存在するのである。
「シンコウ」はどうだろう。信仰、侵攻、侵寇、振興、深厚、深更、進行、進攻、進航、進貢、進講、新興、新港、新香、親交。全てが「シンコウ」である。
何故にこれほど大量の同音異義語が生まれたのだろうか。そのことを説明するには、以前書き記した形声文字に戻らなければならない。拙著『そうだったのか!ニッポン語ふかぼり読本』から引用しょう。
同、洞、銅、胴は「ドウ」。包、抱、疱、胞は「ホウ」。阻、祖、租、組、俎は「ソ」。つまりはこれが、音を知らせてくれる形声文字だった。交、校、絞、効、郊、咬は、もちろん「コウ」。そして、高、公、更、考も同じくコウである。
このように全く意味の違う漢字であっても、同じ音を持つということが日本では起こった。本家本元の中国では同音異義の漢字は多くないという。 
一つには、日本語のアイウエオでは賄いきれない複雑な発音があることが理由である”そしてもう一つの理由は、四つの声調によるのである。
 中国人の多く住むこの地に住んでいると、中国人の会話が容赦なく耳に忍び込んでくる。中国語をしゃべる人たちの会話に耳をすませると、中国語はなんとも表情豊かである。言葉の調子が高いところから急にズドンと低くなったかと思うと、トーンが急上昇して行ったりと、音の表情が豊かなことに気がつく。
 相原茂の『はじめての中国語』を参考にすると、中国語は声調言語と言われるほどで、四つの声調を持っているとある。
   第一声                        高く平らな調子。
   第二声                        自然な高さから一気に引き上げる。
   第三声                        低く低くおさえる。
   第四声                        一気に下げる。
そして、“声調は中国語ではとても大事です。たとえば同じmaという音節でも、声調の違いによって、その表す意味がまったく別のものになってしまうのですとある。 
その例を挙げると、
            第一声                        ma       媽 (おかあさん)
            第二声                        ma              
    第三声                        ma              
    第四声                        ma      
本家本元の漢字は、日本語の発音ではとうてい真似のできないきわめて複雑な音声を有している。それに加えて、声調という四つの異なったトーンにより、一字一字独自の音声とトーンを持つ文字である。すなわち漢字という文字は、視覚を通してその持つ意味をおのずと見分けることができると同時に、聴覚を通してもその意味が即座に想起できるのである。まるで魔法のような文字なのだ。

ところが、日本はこの声調をマスターすることができなかった。韓国もそのことは同じだった。つまり、同音で異義の漢字が無数に生まれたのだった。
上に交、校、絞、効、郊、咬は、もちろん「コウ」。そして、高、公、更、考も同じくコウであると書いた。ところが、これくらいでは収まらない。「工」を音符とする形声文字には、功、巧、江、攻、貢、項などがある。「冓」を音符とするのは、溝、構、講、購である。「亢」もコウだ。その形声文字には、坑、杭、航などがある。
常用漢字表を見ると、「コウ」の音読みを持つ漢字は62個とある。そして「ショウ」という音を持つ漢字は65個だった。尚、賞、掌、嘗、召、沼、招、昭、紹、詔、正、政、症、証、肖、宵、消、硝などである。
ではここでクイズと行ってみよう。62の漢字を持つ「コウ」と65の漢字を持つ「ショウ」の音を持つ漢字を組合すとどうだろう。「コウショウ」という音を持つ漢字語を思い浮かべてみてください。
すぐに思い浮かぶのは、交渉、公証、高尚、考証、公称などかも知れない。ある人は工廠を思い浮かべるかも知れない。校章を思い浮かべる人もいるだろう。だがこれくらいでは収まらない。哄笑、高唱、厚相、交鈔、好尚、口承、鉱床、工商、行賞、口証、高承、康正、興商、公傷、工匠などと、全てが「コウショウ」である。公娼という言葉は現代ではほとんど使われることはないが、これも「コウショウ」だ。
では最後に一つ紹介して「コウショウ」を終わりにしょう。咬傷である。これは多分、長い人生の内で、耳にすることも目にすることも一度としてない言葉かも知れない。だが、たとえこれが生まれて初めて目にする言葉であったとしても、これを理解するのは難しいことではない。咬まれ傷であることは疑いようもない。そして、人間に噛まれたのではなく、動物に咬まれた傷であることは一目瞭然である。

幕末・明治の洋学者たちは、新しい日本語を造語することにより西洋語の渡来に対処した。その際、西洋語の意味に忠実であることを念頭に置いた。意味の異なる言葉が同じ音を持つようになることには頓着しなかった。いや、同音であることさえも気が付かなかったに違いない。交渉、公証、高尚、考証、公称、公娼、咬傷と、形が異なるからである。
江戸時代から明治にかけて大量に造語された和製漢語は、多くの同音異義語を生み出した。一方韓国では、漢字を放棄しハングルのみを用いて表記するという無謀を犯したため、同音同字でありながら意味の異なる語彙を大量に生み出した。
和製漢語というのは、そのほとんどが音読みを持ってなされたと以前書いた。日本語も韓国語も音読みは同音だらけなのである。つまり、漢字の後ろ盾なしには和製漢語は成り立たないのである。