まずは『街道をゆく18 越前の諸道』から引用しょう。
『論語』は、中国人にとっても、早い時期に古語になってしまい、註がなくては意味がとりにくくなっていた。新中国のある時期、毛沢東語録を何億の人間が日々斉唱していたように、毛沢東の「聖人」としての出現の前までは、二千年以上も中国人たちはこの孔子語録を読みつづけてきたのである。
プロレタリア文化大革命で、毛沢東が単なる政治家の位置から「聖人」の位置へひきあげられたときは、まことにめざましかった。同時に、伝統的な聖人である孔子は引き下げられ、『論語』もすてられた。”
この文章から次の仮定が成り立つかも知れない。漢字という文字が何千年もの間、漢籍の中で元の意味のままで止まっていたのではないかということである。
中華とは宇宙唯一の文明ということである。その宇宙唯一の大文明を尊び、それを守り続けることが中華思想の第一義であった。古きを継承し新しきを排することが、儒教の思想である。漢字に関しても同じことが言えるのではなかろうか。
ひらかな・カタカナという表音文字の誕生は、漢字という中国の文字を日本語の中へ引き入れるという役割を果たした。以前、“日本人は大昔から好奇心が強かったのか、おっちょこちょいだったのか、好き勝手だったのか、本家本元の読みを日本式に変えるという突拍子もないことを思いつくのである”と書き記したことがある。本来の漢字からは考えも及ばない訓読みというものを生み出したのである。ひらかなとカタカナの誕生は、そのことに拍車をかけることになる。
そして、文字を与えてくれた本家の漢文の世界からは袂を分かち、外国の文字であった漢字を借用し、日本語の中に取り入れて行った。
青(セイ)は 青い、清(セイ)は 清い、清々しい、
晴(セイ)は 晴れ、請(セイ)は 請う、
情(セイ)は 情け、精(セイ)は 精しい、
静(セイ)は 静か、錆(セイ)は 錆び
というふうに、漢字の持つ意味はそのままに、独自の日本語を造り上げていったのだった。このようにして日本独自の和語の世界を作り上げていくのである。訓読みという羽根を授かった日本語の中での漢字は、日常生活の中で生きた言葉として使われるようになるのだった。
「引」という漢字の字解は“弓(ゆみ)とᅟᅵ(ひきのばす)とから弓をひく意”である。日本語に入ってきた「引」という漢字は引くという訓を得、近くへ‘引き寄せる’という意味合いに使われた。‘引き抜く’という意味にも使われ、取り出す・例をあげるという意味にも派生していった。また、‘引き入る’から人々を率いるや導くといった意味をも含むようになった。‘引き受ける’から物事を引き受け責任を負うという意味を持つようになり、‘引き際’からしりぞく、さがるという意味を含むようになった。
このようにして「引」はひっぱるの意味でしかなかったものが、訓読みという羽根を与えられ、日常生活の中で自由自在に使われるようになったと思うわけだ。
ところでこの「引く」である。日本へ行くと、どこのドアーにも〈押す〉〈引く〉とマークがしてあるが、中国人の街へ行くと、ドアーには〈推〉〈拉〉のマークである。拉致は無理やり引(拉)っぱって連れて行くことだった。
拉麺が日本でいうラーメンにあたるが、これは中華麺一般を意味する。中国の麺は引(拉)っぱって作るのであった。一本が二本、二本が四本、四本が八本、八本が十六本と何度も引(拉)っぱって打つ麺が拉麺である。
「拉」に対して「推」が押すを意味する。推の音はもちろんスイで、訓がおす。推すが‘推し動かす’‘推し進める’‘推しいただく’‘推しはかる’と意味を広げていったのであろう。
waterというものがイギリスにあった。中国にもあり、当然日本にもあった。イギリスではこれをwaterと呼んだ。中国ではこれを「水」と呼んだ。日本ではこれを「みず」と呼んだ。しかし「みず」を表す文字は存在しなかった。もしもいにしえの日本に漢語ではなく英語が入っていたとしたら。果たして日本人は、waterを「ウォーター」と呼ばず「みず」と呼んだだろうか。いにしえの日本人は漢字の「水」を「みず」と呼んだ。waterという横文字を「みず」と読むようなものである。
「引く」と書いて「ひく」と読むのは「pullく」と書いて「ひく」と読むようなものである。「推す」と書いて「おす」と読むのは、「pushす」と書いて「おす」と読むようなものである。このような不思議なことを日本人はしたのだった。
いにしえの日本人が発明した訓読みは、漢籍の中で長い冬眠生活を続けていた漢字を目覚めさせる春の陽光の役割を果たしたのではないだろうか。
新しい息吹きを与えられた漢字は日本の言語生活に入り込み、生き生きとした日本語を生み出すという貢献をした。もちろん、それぞれの漢字の持つ語源を忠実に遵守したことは言うまでもない。
このように日本で品種改良され精錬された漢字が、江戸末期から明治にかけて入ってきた横文字の西洋文明を受け入れる上で、目覚しい活躍をしたということを書こうとしている。
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