和製漢語という日本語がある。この言葉を知らない日本人はいないだろう。ところがである。国民のだれもが馴染みとする言葉なのだが、その本当の意味を解する人の数は、それほど多くないように思える。
そこで辞書の助けを得ようと思い国語辞典を広げたが、和製英語があるだけで和製漢語は見当たらない。そのことは漢語辞典も同じで、「和製」の解釈しか出てこない。“日本でつくったこと。また、そのもの”とあるだけだ。狐につままれる思いだった。
仕方がない。インターネットの力を借りることにした。そこに「ウィクショナリー」という便利なものを見つけた。その説明を拝借しょう。
“和製漢語: 日本で漢字を用いて造語された漢語。江戸期以前にも見られるが、哲学など特に明治期の近代化(西洋文明移入)に伴う翻訳語として成立したものが多い”
日本製の漢語ということである。だが、漢語と言われてもピンと来ない方が多いかも知れない。という小生も、十数年前に和製漢語の成り立ちを調べ始めた時、まずは漢語という言葉につまずいた覚えがある。
辞書には、“漢語: 1)中国から伝来して日本語となった語。また、広く日本語で、漢字の字音で読む語。字音語。2)中国語”とある。つまり漢語というのは中国語のことなのだが、現代の中国語が日本へ入ってくることはほとんど有り得ない。大昔に中国から伝来して日本語になった言葉もほとんど残っていない。すぐに思い浮かぶのは、伽藍、菩薩くらいしかない。
ここで、もう一つ説明を加えなければならない。「字音語」という耳慣れない言葉に関してである。字音というのは、日本に伝来して国語化した漢字の発音ということだそうだ。「夏」を「カ」、「冬」を「トウ」とする読み方のことで、いわゆる音読みということである。
つまり字音で読む漢字で出来た言葉が漢語ということです。ということで、和製漢語とは日本製の音読みの漢字で出来た言葉となる。
なお和製漢語というのは、ウィクショナリーの説明にもあるように、幕末以前と幕末以降とに分けることができる。では、幕末以前の和製漢語を書き記してみよう。野暮、世話、面倒、心中、家老、家来、大切、無茶などである。すべて音読みですね。
もう一度書いてみよう。野暮、世話、面倒、心中、家老、家来、大切、無茶。いかがですか。これらの古い和製漢語には共通する特徴がみてとれます。その言葉の意味がそれぞれの漢字に反映されていないということです。
「野暮」は野原の日暮れではなくて、粋でなく洗練されてないことである。「世話」は世の中の話ではなく人の面倒を見ることで、「面倒」は勿論ツラが倒れることではない。「心中」も心の中ではない。「家老」は家の老人ではなく一国一城の宰相、「家来」は家へ来ることではなくお付きの配下という意味である。「大切」は、無論大きく切ることではない。そして「無茶」は、お茶が無いことではなくデタラメということである。
それに引き換え幕末以降の和製漢語は、電車、球技、娯楽、投稿、女性、男性、建築、作品、造船、道路のように、その文字から意味が推し量れるように造語された。つまり、日本語を全く知らない中国人が見ても理解できるということになる。
前号で説明したように、中国ではastrologiaを亜斯多落日亜、catagoriaを加得我利亜、defferentiaを的甫連希亜、familyを費密理、intelligenceを印貼利根追とし、これで翻訳したと思い込んだ。しかしこれでは、「西洋文明を受け入れることなどおぼつかない状態に陥った」と書いた。
ここで日本国の登場である。上に書いた西洋語は、天文学、部門、相違点、家族、聡明と造語した。歴史の機微である。中国人が見ても理解できるのだ。
ペリー来航以来怒涛のように押し寄せてきた西洋語を、幕末・明治の先人達は、その各々の単語の意味を吟味し、それを日本語に訳すということを思いついたのである。先に挙げた横文字群は次のように翻訳された。中国語の翻訳事情と比較してみよう。
ASTROLOGIA 亜斯多落日亜 天文学
CATAGORIA 加得我利亜 部門
INTEREST 嬰脱列斯特 利子
CORPORATION 歌頗勒宩 法人
DEMOCRACY 得謨克拉西 民主
DIFFERENTIA 的甫連希亜 相違点
EXISTENSE 額思定斯 存在
FAMILY 費密理 家族
IDEOLOGY 意徳沃罘基 思想
INDUSTY 茵达斯脱理 工業・産業
INTELLIGENNTIA 印貼利根追 英知・聡明
LIBERTY 里勃而特 自由
MEMORY 孟摩利 記憶
NARCISSISM 腊西雪茲娒 自己陶酔
REPUTATION 波塞布知阿 名声・評判
それまでの日本という国になかった事物、なかった制度、なかった概念を、新しい日本語を造り上げることによって、受け入れていった。現代の日本において、上に挙げたような漢字語がなかったとしたなら、日本での社会生活は成り立たない。西洋の文明を受け入れることなど考えも及ばなかっただろう。哲学、科学、法律、政治、経済、医学、芸術、地理学、さらには宗教さえも日本語で語ることはできなかったはずである。
そして、漢字を駆使して造語が成されたため、歴代の漢字圏である中国、台湾、朝鮮半島諸国においても新しい日本語が共有された。それまで西洋文明に手も足も出なかった漢字圏の国々では、和製漢語に翻訳された書物をとおして、西洋文明の受け入れが可能になったのである。
西洋語のかたちで怒涛のようになだれ込んできた西洋のあらゆるものを、社会、経済、選挙、反応、時間、意識、情報、必要、聡明、現実、世界、信用、印象、理論、素質、演奏、精神、衛生といったそれまでの日本国には存在しなかった新しい日本語を造語することによって、速やかに取り入れることを可能にさせた幕末から明治にかけての先人達の勇気と英知に注目し、その造語される過程をたどってみたい。
No comments:
Post a Comment