Wednesday, September 14, 2016

世界地図に日本列島がなかったなら。



 10数年前の話である。とある図書館へと出かけて行った。東洋人の多く住む街にある図書館であるため、韓国語の書物も揃っているだろうと踏んでのことだった。目当ては漢字とハングルを併用した書物だったが、百を超える韓国語の本が揃った中で、そのような物は見当たらなかった。1970年代に漢字を放棄した韓国である。漢字とハングルとの混ざり文は過去の話なのだろう。
仕方がないので、本棚に飾られてある韓国で発行される百科事典を開いてパラパラとぺージをめくった。そうしたところ、たまたま目に留まったのが氷河期の朝鮮半島を描いた地図だったのだ。
何の変哲もない氷河期の地図だったが、私は度肝を抜かれる思いだった。朝鮮半島ははっきりと描かれているのだが、肝心の日本列島がない。北海道の半分ほどが描かれてあるだけで、本州、四国、九州は空白だったのだ。
装丁のしっかりした百科事典にしては仕事が雑すぎると思ったその時である。“If”が頭をよぎったのだった。もしも、その地図が示すように日本列島がこの世に存在しなかったなら。
世界地図から日本列島が無くなると、大そう殺風景であろう。日本列島の消えたこの東アジアの地図は、殺風景を通り越して哀れでさえあった。
日本列島が無かったならば、前方が広く開かれ風通しが断然良くなると韓国人は言うかも知れない。韓国人が溺愛する温泉は全国に湧きだすだろう。そして温泉をもたらす環太平洋火山帯は半島を貫き、より変化に富んだ景観をもたらしただろう。しかし、火山帯は常に地震帯とセットである。
韓国人は、日本列島があるために前方が塞がれ窮屈だとうそぶくかも知れない。だが日本列島は、朝鮮半島を外洋からの風浪を避ける屏風のように配置されてある。実際に、地震と火山の被害は古今を通じずっと日本列島が引き受けてきた。つまりは、朝鮮半島を守る防波堤の役割を果たしたと言えよう。太平洋岸で起こる津波が朝鮮半島を襲ったことはない。

人文の側面から見るとどうだろう。日本列島が存在しなかったなら、現在の韓国、北朝鮮という国はなかったろう。朝鮮民族の存続さえも危うかったと考える。例えば元寇である。日本列島がこの世に存在しなかったなら、歴史教科書に元寇が記されることもなかったろう。元の世祖フビライが日本への遠征を企てることなどないわけだ。文永の役(1274年)、弘安の役(1281年)でのしくじりが元帝国滅亡の要因のひとつとなった。元寇を企てる必要がなかったなら、高麗は元帝国の領土に組み入れられたと考えるのが自然である。
日本列島がこの世に存在しなかったなら、日清戦争も日露戦争も存在しない。朝鮮半島は、清国あるいはロシアに組み込まれていたと考えるのが妥当である。

そして、もしもこの世に日本文化が存在しなかったなら。人類の社会生活は大そう寂しいものになったろう。世界の食となりつつある和食文化がなかったなら、スシやサシミはこの世になかった。たぶん、将来も人間社会に登場することをしなかったろう。魚を生で食すという習慣は、日本以外のどこにも生まれなかった文化だからである。酢飯も世界のどこにも見られない食文化であることは言うまでもない。
世界の味となったテリヤキ・ソースがなかったなら、アメリカの食文化は相変わらず味気ないものだったろう。コーベ・ビーフ、エダマメ、トーフ、シイタケ、エノキといった食材がなかったなら、世界の食文化も料理の幅を広げることはなかったろう。新しいところではクロブタ、ポン酢、ユズなどだろうか。
アニメ、マンガ、ニンテンドーがなかったなら、世界中の子供が毎日時間を持て余したろう。『七人の侍』が無かったなら『荒野の七人』は無かったし、黒澤明がいなかったら『スターウォーズ』が生まれることはなかっただろう。
そして日本がなかったなら、印象派の絵がこの世に生まれることはなかった。これは大そう殺風景だ。現代という世の中、いたるところに印象派の絵が飾られてある。居間にも寝室にも、ダイニングにも、トイレにも。大小のレストランにも必ずある。歯医者へ行くと絵が飾ってあり、もちろん病院にも欠かせない。都会の役所にもあり、過疎の村の役場にもある。老人ホームでも託児所でも、明るい印象を与える一役を買っている。
マネから始まりモネ、ドガ、ルノアール、セザンヌ、そしてゴッホで代表される画家たちは、浮世絵との出会いがあったればこそ、印象派として後世に記憶される作風を見つけることができたのである。
このように日本が世界へ及ぼした影響を考えると、この地球上に日本列島がなかったなら、滅法殺風景な世の中になっただろうことは疑う余地もない。

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