Thursday, June 29, 2017

同音異義語



韓国語は漢字を放棄した。前回は、そのことによって一目瞭然という和製漢語の特徴を韓国語は失ったと書いた。原人、猿人、原因、遠因、援引というそれぞれ異なる意味を持つ語彙だったのが、漢字を捨てたため、全てが원인と聞こえ원인と目に映ることとなった。원인では、原人、猿人、原因、遠因、援引の違いを認識するのは無理である。最も馴染みの深い「原因」だけが残り、他の四つの語彙は闇に消えたと書き記した。そして、これは勿体ない話だと綴った。
このことをもう少し続けよう。同音異義の言葉が生まれたのは韓国だけの話ではない。日本語にも同音異義語が満載である。少し例を上げよう。
「シコウ」という音を持つ漢字語には、志向、至高、志考、指向、私交、私考、私行、伺候、施行、施工、思考、歯垢、嗜好、試行、試航、詩稿がある。なんと16もの異義の言葉が存在するのである。
「シンコウ」はどうだろう。信仰、侵攻、侵寇、振興、深厚、深更、進行、進攻、進航、進貢、進講、新興、新港、新香、親交。全てが「シンコウ」である。
何故にこれほど大量の同音異義語が生まれたのだろうか。そのことを説明するには、以前書き記した形声文字に戻らなければならない。拙著『そうだったのか!ニッポン語ふかぼり読本』から引用しょう。
同、洞、銅、胴は「ドウ」。包、抱、疱、胞は「ホウ」。阻、祖、租、組、俎は「ソ」。つまりはこれが、音を知らせてくれる形声文字だった。交、校、絞、効、郊、咬は、もちろん「コウ」。そして、高、公、更、考も同じくコウである。
このように全く意味の違う漢字であっても、同じ音を持つということが日本では起こった。本家本元の中国では同音異義の漢字は多くないという。 
一つには、日本語のアイウエオでは賄いきれない複雑な発音があることが理由である”そしてもう一つの理由は、四つの声調によるのである。
 中国人の多く住むこの地に住んでいると、中国人の会話が容赦なく耳に忍び込んでくる。中国語をしゃべる人たちの会話に耳をすませると、中国語はなんとも表情豊かである。言葉の調子が高いところから急にズドンと低くなったかと思うと、トーンが急上昇して行ったりと、音の表情が豊かなことに気がつく。
 相原茂の『はじめての中国語』を参考にすると、中国語は声調言語と言われるほどで、四つの声調を持っているとある。
   第一声                        高く平らな調子。
   第二声                        自然な高さから一気に引き上げる。
   第三声                        低く低くおさえる。
   第四声                        一気に下げる。
そして、“声調は中国語ではとても大事です。たとえば同じmaという音節でも、声調の違いによって、その表す意味がまったく別のものになってしまうのですとある。 
その例を挙げると、
            第一声                        ma       媽 (おかあさん)
            第二声                        ma              
    第三声                        ma              
    第四声                        ma      
本家本元の漢字は、日本語の発音ではとうてい真似のできないきわめて複雑な音声を有している。それに加えて、声調という四つの異なったトーンにより、一字一字独自の音声とトーンを持つ文字である。すなわち漢字という文字は、視覚を通してその持つ意味をおのずと見分けることができると同時に、聴覚を通してもその意味が即座に想起できるのである。まるで魔法のような文字なのだ。

ところが、日本はこの声調をマスターすることができなかった。韓国もそのことは同じだった。つまり、同音で異義の漢字が無数に生まれたのだった。
上に交、校、絞、効、郊、咬は、もちろん「コウ」。そして、高、公、更、考も同じくコウであると書いた。ところが、これくらいでは収まらない。「工」を音符とする形声文字には、功、巧、江、攻、貢、項などがある。「冓」を音符とするのは、溝、構、講、購である。「亢」もコウだ。その形声文字には、坑、杭、航などがある。
常用漢字表を見ると、「コウ」の音読みを持つ漢字は62個とある。そして「ショウ」という音を持つ漢字は65個だった。尚、賞、掌、嘗、召、沼、招、昭、紹、詔、正、政、症、証、肖、宵、消、硝などである。
ではここでクイズと行ってみよう。62の漢字を持つ「コウ」と65の漢字を持つ「ショウ」の音を持つ漢字を組合すとどうだろう。「コウショウ」という音を持つ漢字語を思い浮かべてみてください。
すぐに思い浮かぶのは、交渉、公証、高尚、考証、公称などかも知れない。ある人は工廠を思い浮かべるかも知れない。校章を思い浮かべる人もいるだろう。だがこれくらいでは収まらない。哄笑、高唱、厚相、交鈔、好尚、口承、鉱床、工商、行賞、口証、高承、康正、興商、公傷、工匠などと、全てが「コウショウ」である。公娼という言葉は現代ではほとんど使われることはないが、これも「コウショウ」だ。
では最後に一つ紹介して「コウショウ」を終わりにしょう。咬傷である。これは多分、長い人生の内で、耳にすることも目にすることも一度としてない言葉かも知れない。だが、たとえこれが生まれて初めて目にする言葉であったとしても、これを理解するのは難しいことではない。咬まれ傷であることは疑いようもない。そして、人間に噛まれたのではなく、動物に咬まれた傷であることは一目瞭然である。

幕末・明治の洋学者たちは、新しい日本語を造語することにより西洋語の渡来に対処した。その際、西洋語の意味に忠実であることを念頭に置いた。意味の異なる言葉が同じ音を持つようになることには頓着しなかった。いや、同音であることさえも気が付かなかったに違いない。交渉、公証、高尚、考証、公称、公娼、咬傷と、形が異なるからである。
江戸時代から明治にかけて大量に造語された和製漢語は、多くの同音異義語を生み出した。一方韓国では、漢字を放棄しハングルのみを用いて表記するという無謀を犯したため、同音同字でありながら意味の異なる語彙を大量に生み出した。
和製漢語というのは、そのほとんどが音読みを持ってなされたと以前書いた。日本語も韓国語も音読みは同音だらけなのである。つまり、漢字の後ろ盾なしには和製漢語は成り立たないのである。

Wednesday, June 14, 2017

形を変えた英語



 鈴木孝夫という言語学者の書いた『日本語と外国語』に、次のような(くだり)がある。

“英語の難しさは何も外国人である日本人にとってだけではなく、英語を母国とする人々にとっても厄介なのだ。私は米国のある著名な大学で、日本語の漢字のしくみについての講演を行なった際に、黒板にpithecanthropeと大書してその意味を聴衆に尋ねたところ、誰ひとりとして答えられなかった。これは日本語の猿人に当る語で、pithec-の部分はギリシャ語の猿に由来し、anthropeは人間を意味する。
 この集まりは文化・社会系の大学院生や教授たちが主であったこともあろうが
それでも日本で黒板に「猿人」と書いて、何十人もの一般知識人の中にひとりも理解できる人がいない状況を想像できるだろうか
 (註)辞書にはpithecanthropeはなく、pithecanthropusとある。ミススペリングかも知れないが、手元に『日本語と外国語』が見当たらないので訂正のしょうがない。ご了承ください。

pithecanthropusを辞書で引くと、類人猿と人間の中間、特にジャワ直立猿人を指すとある。アメリカでは著名大学の教授や大学院生でさえ理解しなかった単語が、日本だと、漢字を解する人であれば辞書を引く必要さえもない。小学校の高学年くらいなら「猿人」という漢字語を理解するはずだ。日本語に訳すと、というよりも日本で造語された和製漢語で表すと一目瞭然である。
つまり、アメリカ人にとっても難解だった英単語が、日本では国民すべてが理解できる言葉へと形を変えたのである。このことを指して高島俊男は、名著『漢字と日本人』の中で「形を変えた英語」と表現した。
 anthropoは、ギリシャ語のanthroposが語源で、「人、人類」を意味し、次のような専門用語に使われる。
  anthropology
  anthropogenesis
  anthropometry
 上から、人類学、人類発生論、人体測定学である。英語で表されると意味のはっきりしない専門用語然とした単語群だったのが、日本語に形を変えると、中学・高校生程度の漢字能力があれば充分理解できるのである。

猿人が登場したところで、矛先を韓国語へと向けよう。漢字を放棄したことにより、韓国語は取り返しのつかない損害を招いたということを書いてみたい。
私事である。私が韓国を初めて訪ねたのは1975年の7月だった。当時はまだ、街には漢字が溢れていた。OO銀行、OO百貨店、OO病院などである。漢字語はほとんど全てが理解できたのだった。
ソウルの街角で売られる新聞を一部手に入れた。これまたほとんど理解できたのだった。OO新聞、725日、日曜日、国会議員、大統領、開放、休暇、文化欄、交通事故など、漢字語の使われ方は日本とまったく同じだったからである。これら日韓共有の和製漢語は、韓国語の読みができなくとも、目で見ればその意味が理解できるという特徴がある。
以前、韓国語の70%は漢字語で、その90%は和製漢語だと書いた。つまり、新聞に書かれた韓国語の63%は目で見てその意味が飲み込めるのである。
当時の韓国旅行は優雅なものだった。日本の統治時代を生きた年配の方々とは日本語での会話がすらすらとできた。この方たちは、若かりし頃を懐かしむかのように、得意になって日本語を話すのだった。
統治時代を経験していない同年代の連中とは、筆談という手を使った。家族、先生、学校、運転免許、通行禁止、一車線、高速道路、写真、住所などと書き並べると通じるのだった。

ではそろそろ、漢字を放棄したことによって韓国が(こうむ)った途轍もない出来事を書き記そう。ペリー来航以降に到来したpithecanthropeという英単語を、幕末以降の洋学者は「猿人」という新しい日本語を造って対処した。
英語を母語とするアメリカ人にも理解されないほどだったpithecanthropeは猿人という「形を変えた英語」として誕生した。すると、一目瞭然なのである。漢字を解する年頃になると、猿人間だということはすぐに理解する。
その恩恵は韓国も授かった。「猿人」と漢字で現れると、韓国でも一目瞭然だったのである。ところが漢字を放棄したために、韓国の言語事情は、天と地がひっくり返るほどの大混乱を引き起こした。
漢字を放棄して以降の韓国では、全てがハングル表記となった。猿人は원인と書き表される。読みは、wonである。韓国の通貨単位が(won)でした。inである。猿人の読みはwoninなのだが、漢字を放棄して以降の韓国では、「원인」を目にして猿人を思い浮かべる者は一人もいなくなったと断言する。

10数年前の話になるが、韓国語の新聞に「원인(遠因)」と書かれた箇所があった。漢字を放棄して以降数十年が過ぎた現在でも、時々漢字が登場するのである。何故か。文章を書いた記者が遠因のつもりで원인と書いたとしても、원인を遠因と理解する読者はいないからである。国民のほとんどは、원인を目にすると、原因しか思いつかないのだ。
原因と遠因という意味の異なる言葉が同じ音で同じ形を持った「원인」と表されるのだから、その違いを把握するのは無理なのだ。
書くほうは遠因のつもりで書くのだが、読むほうは原因と受け取るのである。そのことを十分承知の記者は、この원인は原因ではなく遠因ですよと注意書きのつもりで括弧を用意して(遠因)を書き添えるのだが、漢字を捨てて数十年が経った韓国だ。「遠因」と書かれた漢字を理解する者はごく少数である。つまり、遠因という語彙は韓国語の中から消え去ったのである。
ここまで書くとお気付きの方もいらっしゃるだろう。猿人も원인だった。すでに書き記したように、원인とあるのを見て韓国人が思い浮かべるのは原因しかないのである。猿人が韓国語の語彙から消え去ったのは遠い昔のことだろう。
もう一つ付け加えよう。北京原人という時の原人である。お分かりだろう。原因の「原」はだった。原人は猿人と同じく「원인」と表されるのである。考古学からすると、猿人の後に現れるのが原人であるらしい。漢字を捨てた韓国語では猿人も原人も「원인」と表される。원인とあるのを見て、どのようにして猿人と原人を区別しろというのだろうか。

ここで少し韓国語の国語辞典に載る원인の項をお見せしょう。
 원인(原人) 원인(猿人)につぐ 30―70まんねんまえ
                の かせき じんるい。
원인(猿人) もっとも げんしてきな さいこの かせき
             じんるいの そうしょう。
원인(原因) ある じぶつや げんしょうを ひきおこし
              たり へんかさせる こんぽんになる できご
              とや じけん。         
원인(遠因) とおい원인かんせつてきな 원인
  원인(援引) じぶんの しゅちょうの こんきょとして
                 たの じじつおよび ぶんけんを いんよ
                  うすること。
  (註)各々の言葉の意味はハングルで書かれてあるので、その部分は同じ表音文字であるひらかなを用いた。
 
それにしても韓国語の辞書は不思議である。漢字を捨てたにもかかわらず、括弧の中に漢字を添えてあるのだが、ほとんどの韓国人は漢字を解さない。日本人だとその漢字を見れば一目瞭然だが、漢字を放棄した韓国人は、各々の원인の説明を逐条読まなければならないということになる。一番上の原人の원인から始めて、最後の援引の원인までひと通り読んだあと、どの원인が自分の探している원인であるかを判断しなければならない。大変な労力の消耗であり、時間の無駄である。
以前、当地の日系人引退者ホームにおいて「ソーシャルアワー」という言葉の講座を6年半続けたと書いたはずである。その場でこのことを伝えたところ、“じゃ、韓国の方たちには一目瞭然じゃなく百目漠然ですね という言葉が返ってきた。まさにその通りである。
漢字を放棄する前には五つの語彙を持つ원인だったが、現代の韓国語では、原因だけになったのである。韓国語は漢字を捨てたことにより、語彙の数が物すごい勢いで減って行った。これは勿体ない話だ。