Monday, November 14, 2016

漢字の渡来。



日本に漢字がもたらされた時期に関しては多くの異なる説があるようだが、本ブログは歴史書を綴っているのではないので、普通の日本の教科書に載るものを採用することにする。西暦555年がそれである。みなさんも良くご存じのように、百済から金銅の釈迦像一体と仏具、そして釈迦の教えを記した経論(きょうろん)がもたされた。
経論に記された漢字と出会った当時の日本人は、大いに慌てふためいたであろう。それまでの日本国には文字というものがなかったのである。日本人が初めて見た文字は漢字だったのだ。みなが身震いしたであろう。
 このように書くと、どこからか「じゃ、当時の日本には言葉がなかったのか」という声が聞こえてきそうだ。いや、当時の日本にも言葉はあった。ただそれは、やま、かわ、うみ、しま、たべる、あるく、ねるといった日々の生活で用いる話し言葉に過ぎなかった。それを書き表す文字は、まだなかったのだ。 
ここで少し、漢字の定義を試みてみよう。漢字は、今から三千年以上も前に出来上がった文字である。黄河の下流流域において興った世界四大文明の一つ、中華文明を作り上げた漢族の言葉が漢語であった。そして、その漢語を書き表すのが漢字であったのだ。
つまり、漢字が日本へ入ってきたときにはすでに二千年近い歴史を経て、高度に発達、整備された文字であった。言い換えると、二千年近く前に興った中華文明が、漢字という文字におさまって洪水のように押し寄せてきたわけだ。
日本国は話し言葉だけの言語生活を送っていた。田畑を耕し、魚介を採り、猟をして日々の糧とした世では、それも不自由ではなかったろう。そのような日本国へ、敬、信、孝、幸、戒、福、尊、蔑、教、義、宗、司、祀といった抽象的概念を表す文字が渡来したのである。
物として現れない、そして感覚ではとらえられない無形の物、精神的な物、宗教的な概念を表す文字との出会いに大そうまごついたであろう。時間と空間を超越した抽象的で哲学的な文字の出現に恐れおののいただろう。あるいは心躍らせたかも知れない。 
 
 文字を持たない国に、
  修己以安百其為不虚取直也的也
  鮑叔終善過之、不以為言
  緩歌慢舞凝糸竹     
  (これらは漢文の本から無作為に抜粋したもので、大意はない。)
 といった、それまで見たこともない得体の知れないものが入ってきたわけだ。今だから我々は形も意味もある程度理解できるが、当時の日本人にとっては次のような感じたに違いない。
タイ人の友達がいたとして、タイ語で書かれてある仏教書を、“これは素晴らしい仏教書だから研究してください”と手渡されたようなものだったろう。おたまじゃくしのような文字をにらんで手の打ちようがないようなものだったろう。
1300年後に起こる、西洋文明が横文字の形をして怒涛のようになだれ込んできたのと極似している。幕末・明治の日本人が、西洋の思想・学問・制度のすべてを日本のそれよりも優れたものと考え、それをまるごと受け入れることによって優れた国家を作ることができると考えたように。
いにしえの日本人も、漢字の形をして怒涛のようになだれ込んできた中華文明をまるごと学ぼうとしただろう。遣隋使がその始まりであった。そして遣唐使へと引く継がれて行った。

ここで、少々横道に入ろう。訓読みの生まれたいきさつということを説明したいからである。当時の日本人は、初めて見る文字を漢字の持つそのままの音で発音しょうとした。水はスイであり、飲はインだ。これが音読みである。
では、「音読み」を国語辞典で引いてみよう。“漢字を字音で読むこと”とある。ここで、字音という馴染みの薄い言葉の登場だ。もう一度、国語辞典の助けを借りよう。字音は、“日本に伝来して国語化した漢字の発音。「夏」を「カ」、「冬」を「トウ」とする読み方。伝来の系統によって、呉音、漢音、唐音などに分類される”と説明が成されてある。早い話が中国読みということだ。なお、呉音、漢音、唐音という耳慣れない名称が登場した。これらに関する説明は、訓読みの後にしょう。
上に、中華文明を作り上げた漢族の言葉を文字にしたのが漢字だと書いた。つまり、漢字の発音というのは本家本元の発音しかないわけだ。ところがである。日本人は大昔から好奇心が強かったのか、おっちょこちょいだったのか、好き勝手だったのか。本家本元の読みを日本式に変えるという突拍子もないことを思いつくのである。
(CHIEN)、来(RAI)、打(TA)、帰(QUEI)、暖(NWAN)、涼(RIANG)、嬉(SHI)などの漢字はケン、ライ、ダ、キ、ダン、リョウ、キと字音で受け入れた。同時に、きらう、くる、うつ、かえる、あたたかい、すずしい、うれしいという本来の日本語を、それを意味する漢字に充てて取り入れることも思いついたのである。嫌う、来る、打つ、帰る、暖かい、涼しい、嬉しいという風に。
訓読みを続けよう。日本語の中での漢字の内、訓読みを一番多く持つ漢字というと、たぶん「生」であろう。生ビール・生菓子という時の「なま」、生一本の「生」、生け花の「生ける」、毛が生える、生い茂る、生さぬ仲といくらでもある。だが、こんなものではない。生憎、埴生、弥生、相生、晩生(おくて)早生(わせ)なども訓読みである。
 日本語というのは大そう厄介だ。「生」は、これだけの音の違う訓読みを持つ上に、三つもの音読みがあるのだから。生活・生産・生存のセイ、一生・生涯・生じるのショウ。誕生・往生・養生のジョウである。

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