Sunday, May 14, 2017

リンクという効用。



 前回は“全くの想像”と前置きして、和製漢語誕生の過程を追った。以下も引き続き想像で書く。
「明」という漢字は、見てのごとく日と月とを足した会意文字である。これほど単純明快な文字もない。日本に入ってきた「明」は、日本語のあかるいという()みが充てられた。もちろん、光が十分差していて物がよく見えるという漢字本来の持つ意味と同じである。
 ところが、茶目っ気が多く好奇心に富む日本人は、「明」という漢字を明るいの意味にとどめることをしなかった。明るい顔、明るい心、明るい見通し、事情に明るいというふうにも使うようになった。そしてそれぞれに、表情が明るい、明朗である、希望が持てる、物事に精通しているという意味合いが与えられた。
 また、“火を見るよりも明らかだ”“勝負は明らかだ”というふうにも使われ、隠されているものや、はっきりしないものを明らかにするという意味合いも加味されるようになった。それがこうじて、種を明かす、道理を明かす、秘密を打ち明ける、目明かし稼業というように意味合いがどんどん広がっていっただろう。 
 このようして、日本にやってきた「明」は日本語の言語生活の中で多くの意味合いを肉づけされた。このことが、横文字の襲来に対処する大きな要因になったということを考えてみたい。 
  
brightという単語が入ってきた時、英蘭辞典を引き“明るくて朗らかな”という和訳をほどこした。そこから「明朗」という和製漢語が生まれたのだろう。
 日本語には古くから「面白い」という言葉がある。「面が白い」と書いて何故に「おもしろい」の意味になるのかが不思議だった。以前読んだ本に『ことばの道草』というのがある。その中に、「面白い」の語源を次のように説明してあった。“「白い」は明るい、晴れ晴れする意。「面白い」は目の前がぱっと開けて、明るくなる感じをあらわした語”と。
 明るく晴れ晴れする意の「白」と、明らかではっきりしたを意味する「明」とを組み合わせて、cleardistinctexplicitなどの単語を「明白」と訳したのだろう。まことに当を得た造語だと感心する。
 明白と訳され “はっきりとしていて疑いのない”の意味合いを与えられた「明」は、precisely(明確な)、specify(明記する)、declare(明言する)などへと派生して行った。これらはみな、明らかな、はっきりとしたを意味する単語である。解明、簡明、究明、糾明、言明、公明、自明、鮮明、判明、表明なども、明らかな、はっきりしたを意味する。
また“物事に明るい”というように、さとい・かしこいという意味合いを与えられた「明」は、intelligenceを翻訳する上でも大事な役割を果たした。intelligenceの訳語として「聡明」が造語されたのである。そして聡明の意味を授かった「明」を基底にして、英明、賢明、明達、明知、明哲、明敏といった漢字語が生まれた。

これらの和製漢語は、漢字圏の国において全て共有されるのである。と断言したいのだが、中国語に関してはそのことを控えよう。中国語には漢字の宗主国としてのメンツがあるのか、時々、和製漢語に頼らず自前の漢字語を造って対処するという方法を取るからである。
中国では会社と言わず公司、自動車を汽車、株式を股票という。だが、西洋語の訳語の多くを和製漢語に頼っていると言うことは紛れもない事実である。

少し横道に入ろう。株式を中国語では股票という。股はどう見ても人体の股である。漢字では月偏(肉部)が付くと人体の部位を表すのだった。20数年前から、中国人街の新築ビルディング群に股票の看板を見かける機会が多くなった。株のことを股というわけだ。不思議である。
そして株主は股東、株主総会は股東大会なのだ。中国語では、東は持ち主を表すようである。大家さんは部屋を持つ人で房東となり、船主は船東となる。やはり日の出る東が良き物の象徴のなのだろう。相撲で東横綱が西横綱よりも格が上というのも、そこから来ているのだろうか。
では、韓国語事情を少しお知らせしょう。韓国では株式のことを주식(chu-sik)という。株式という日本語は訓読みと音読みを混ぜたいわゆる湯桶読みで、純粋な日本語である。これを韓国語として受け入れる場合、株は音読みのシュとするしか方法がない。韓国語には音読みしか存在しないのでしたね。株式を音読みで読むと、「かぶしき」ではなくシュシキとなる。株主、場所なども同様である。「かぶぬし」ではなくシュシュ、「ばしょ」ではなくジョウショとなる。このように純粋な日本語(和語)を音読みに変えて取り入れた例は掃いて捨てるほどある。このことは、韓国語の実情を書く際にあらためてお知らせしょう。

韓国語というのは不思議な言語である。1970年代に漢字を放棄したため韓国語の文章はほとんど全てが表音文字のハングルだが、その70%は漢字語だという。これは想像ではなく、韓国の政府及びメディアによって放たれる数字なのだ。
そして、現代という世の中で使われる漢字語の90%は和製漢語が占めるというのが、私の考えである。70%x90%ということは63%ということである。つまり現代の韓国語の語彙の60%以上を日本語が占めると言える。新聞や専門書に使われる漢字語のほとんどが和製漢語なのだ。だが、韓国語での漢字語は漢字で現れることをほとんどしない。

 「実」という漢字は略字体で、もともとは實である。辞書には、家の中に財宝が満ちる意とある。み、みちる、みのるの意味から花実、果実、結実、充実、豊実といった熟語ができていった。
 そして「実」は、“名を捨てて実を取る”というように、装飾的・名目的・表面的なものを取り除いた中身、つまり偽りのない、まことの、本当の、ありのままのという意味を含むようになっていった。
practicalという単語がある。哲学を語る上で必要不可欠な単語である。Concerned with real situations and events rather than ideasという意味である。これは、「実際の」 「実践の」などと訳された。idealにある空想的な、観念的な、思いつきという意味合いに対して、実用的な、事実上の、ありのままのを表す言葉である。   
actualという単語も「実際に」「実のところ」と訳された。practicalあるいはactualという意味合いを付加された「実」は、practicalactualの意味合いを含んだ英単語を造語する上で大きな貢献をした ―― 事実、写実、確実、現実、史実、切実、如実、虚実、実験、実働、実歴、実況、実益、実情、実施、実態、実現、実力などである。
 
それにしても漢字とは便利なものだ。以前、“漢字はコンピューターのデータベースに通じる効能を有するというのが、私の考えである”と書いた。そして、“データベースの情報が友人リスト、趣味の集い、顧客名簿といった項目に仕分けられるように、何万字もあるといわれる漢字という文字も、一字一字が色々な項目によって仕分けられる。まず、部首によって大まかな意味会いを示してくれる”と付け加えた。
本、杏、柿、根は、木と関連する。泉、汁、汗、池、泣は、水に関連する文字である。育、肩、胃、肌、腰、臓は、人体と関係する。負、貢、財、販は、金銭にかかわる文字だった。
そして、漢字語にも同じような特徴がある。例えば、体育、体温、体格、体質、体力、死体、弱体、重体、上体、身体、肉体などだ。「体」という漢字を持って、その意味する領域にまとめて分類するという特徴である。
和製漢語は、漢字の持つ特性を大いに受け継ぐことをした。上に書いた事実、写実、確実、現実、史実、切実、如実、虚実がまさにそれである。「実際に」「実のところ」という意味合いを持った言葉へとまとめてくれるのである。
前に書き記したように、民権、民法、民度、民意、民心、民政などは、「人民・国民」という概念とdemocracyという意味合いを授かった「民」の領域へリンクしてくれるのである。
中国ではdemocracy徳謨克拉西と音訳した。もしもこの世に日本がなかったと仮定したなら、西洋語を取り入れる上で、その領域にまとめて分類するという漢字語の特性を生かすことはできなかったろう。徳はdemocracyの「de」の音を知らせてくれる漢字でしかない。和製漢語の「民主」があってこその民事、民生なのである。

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