Friday, July 14, 2017

「腺」は和製漢字



以前、「形を変えた英語」という表現を高島俊男の『漢字と日本人』から拝借した。そのことをもう少し説明しょう。ペリー来航以降に怒涛のように入って来た英語の語彙だが、日本国に存在しないものが少なくなかった。また、日本には存在しない概念を表す言葉もふんだんに含まれていた。
pithecanthropusはその一つであった。これを当時の洋学者は「猿人」という新しい言葉を造語して対処した。鈴木孝夫の『日本語と外国語』にあったように、英語の本場アメリカの学者、大学院生でさえも理解しえない単語だったのだ。ところが、和製漢語に姿を変えると国民の全てが理解可能な言葉に早変わりしたのだった。そのおかげで、歴代の漢字圏である中国、台湾、朝鮮半島においても、国民の全てが理解できるようになった。ということは既に書き記した。
英語は面倒な言語である。英語にsudoriferous grandという医学用語がある。日本語はこれを、「汗腺」という新しい言葉を造語して対処した。つまり、sudoriferousが汗というわけだ。これは面倒である。汗は、英語ではsweatだ。生まれた時から死ぬまで汗はsweatなのだ。
しかしこれが専門用語となると、sweatという使い慣れた言葉が用いられることはない。ラテン語かギリシャ語へと助けを乞うのである。sudoriferousは汗を意味するラテン語かギリシャ語なのである。アメリカ人でさえも、この単語 を見て聞いて汗を思い浮かべる人の数は多くないだろう。
ところが、汗腺とあると一目瞭然である。歴代の漢字圏でもそのことに変わりはない。ただ朝鮮半島では、漢字を棄てたために、一目瞭然という恩恵を失ったということは何度も指摘した。
日本語が漢字を放棄したと仮定しょう。「カンセン」と聞こえ、「カンセン」と見えても、それが汗腺であると見極める手立てなどない。観戦も感染も幹線も「カンセン」である。艦船、官選、艦戦も「カンセン」だ。「同音異義語」で書いたことだが、和製漢語は漢字の後ろ盾なしには成り立たないのだった。

grandである。これは日本語の「腺」なのだが、この漢字が日本製であることは良く知られたことであろう。これは絶妙な創作である。中国は数千年にもおよぶ漢方医学の国であり、近代にいたるまで人体解剖は国禁であった。それがため、腺の存在を知ることもなかった。つまり、それを意味する漢字も生まれなかったということだ。
英単語のgrandが入って来た時、日本の洋学者はその意味をしっかりとつかみ漢字で表そうとした。ところが、漢語の辞書を隅から隅までしらみつぶしに探してはみたが、見当たらない。それもそのはずで、歴代の中国にはgrandの存在など知るすべもなかったのだ。
適当に茶を濁すことを良しとしない日本人のことである。grandを意味する漢字がないことを知った日本人は、独自の漢字を造り出すことにした。それにしても完璧な創作である。体内に存在する線のように細い器官であるということが、すぐに思い浮かぶ。

 インドでは、大学の授業は自国語で行われない。これは、ヒンズー語という国語以外に10以上の公用語を使用するため、一つの言語では統一できないということもある。だが、自由、革命、思想、英知、知覚、認識、民主、相違、存在、幻覚、現象といった高度の概念を表す自国語がないため、あるいは学術用語を表す自国語がないため、英語を使って授業をするよりほかに方法がないということが第一の理由である。
 他の東南アジア諸国においても、事情は似たようなものであろう。高度の概念語、学術用語を自国の言語で表すことができない。すると、外国語である英語を借りて授業を行なうしか方法がないのである。
マレーシアで本屋に入ると、マレー語で書かれた本は何冊もなく、ほとんどは英語の本であるらしい。つまり高等教育を受けられない人々は、読書という教養の糧を得ることがないまま一生を終えることになってしまう。
もう一度、「英語は面倒だ」へと戻ってみよう。electrooculographyは眼球運動だそうだ。cytokinesisは細胞質分裂だという。40年以上をアメリカに住む人間だが、このような専門用語はまるで歯が立たない。たぶんこのことは、一般のアメリカ人も同じだろう。
dysphasiaは言語障害であるらしい。これも、一般のアメリカ人には無理な単語だろう。これらの単語は、ただ英和辞典を広げて拾っているだけのことである。strabismusというのもあった。これも、普通のアメリカ人には手も足も出ないだろう。日本語では斜視である。和製漢語は優れものだ。

英語を母国語とするアメリカ人にさえも難解な語群が、英語を母国語としない他のアジア諸国(漢字圏以外)の国々において大学の授業を英語でまかなったとしても、十分に消化されているとは思えない。
また、高等教育を受ける人たちと、それを受けることの出来ない人たちの格差は甚だしいものになるだろう。高等教育を受けられない人たちには、現代文明が分配されることはないということになる。 
 それに引き換え日本においては、幕末・明治の先人達が漢字という表意文字を駆使して、西洋の文明、西洋の学問、西洋の概念を漢字語に造語して取り入れたおかげで、小学校から大学までの教育を日本語によってまかなうことが可能になった。
 このことは、東アジア諸国(漢字圏)においても共通することであった。和製漢語を通して、西洋の文明、学問、概念をすみやかに取り入れることが可能となり、小学校から大学までの教育を、自国語を持ってまかなうという他のアジア諸国では不可能であったことを可能にした。
 アメリカにおいては専門家にしか理解されなっかた語群さえも、漢字語に意訳されたおかげで、国民だれもが理解できる簡便な言葉になった。そのことが、国民全体の教育水準の向上につながったと思う。毎年のように教育水準の世界的な統計が報道されるが、漢字語圏の国々が常に上位を占めているという現象は偶然ではないと思うのだ。 


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